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こつてつむすめとファーファ太郎による映画評論対決

アウトレイジ最終章(ネタバレ)byヘリオン

ひとりの男の人生を締めくくるに相応しい傑作映画


あらすじ

北野武監督・主演で裏社会に生きる男たちの抗争を壮絶に描いたバイオレンス映画「アウトレイジ」シリーズの最終作。

関東最大の暴力団組織・山王会と関西の雄・花菱会との抗争後、韓国に渡った大友は日本と韓国を牛耳るフィクサー、張会長のもとにいた。

花菱会幹部の花田は取引のためやって来た韓国でトラブルを起こして張会長の手下を殺してしまい、張グループと花菱は緊張状態へと突入する。

激怒した大友は日本に戻り、過去を清算する好機をうかがっていた。

その頃、花菱会ではトップの座を巡る幹部たちの暴走がはじまっていた。

ビートたけし西田敏行塩見三省、白竜ら前作からの続投組に加え、大森南朋ピエール瀧岸部一徳大杉漣原田泰造池内博之らが新たに参加。」(映画.com)


どうも、このブログに突如現れた第3の男、ヘリオンです。「アウトレイジ最終章」について書きました。

前作「アウトレイジビヨンド(2012)」から5年、待ちに待った待望の続編がようやく公開!期待に胸を膨らませ、万感の思いで観たこの作品についてまず言わなければならないことは、

「まごうことなき傑作である」ということ。

そして、

「観る人間を選ぶ」ということですね。

「とにかく最高です、全人類観て下さい」、と言いたいところなんですけど、やっぱりこれは人を選ぶ、というか何を求めているかによってはっきり評価が分かれると思います。

この「アウトレイジ最終章」は、はっきり言って地味です。暗いです。なので2010年第1作「アウトレイジ」のあのひたすらエンタメに徹した暴力絵巻を求める人には退屈に思えるんじゃないかと思うんですよね。

逆に初期の傑作「ソナチネ(1993)」や「3-4x10月(1990)」が好きな人はぴったりハマると思う。

今回はとにかく序盤からエンディングに至るまで、尋常じゃない悲壮感に包まれてます。

個人的には雰囲気として「仁義なき戦い 頂上作戦(1974)」に近いものを感じました。

前作「仁義なき戦い 代理戦争(1973)」で壮絶な舌戦(この点はアウトレイジビヨンドにも相関する)を繰り広げながら大抗争へなだれ込んだ山守組と明石組は、その後警察による頂上作戦(微罪や別件逮捕で幹部を逮捕しまくる)により組を仕切るべき上位幹部が不在に。その間指導者を失った部下達は歯止めのきかない猛烈な攻撃合戦を繰り広げるんですが、これがなんとも言えない悲壮感に溢れてるんです。

映像上は激しい撃ち合いや、ダイナマイトまで投げ合う派手な画なんですが、もう全員死ぬまで終わらないやけっぱちな抗争の絶望感と諦観がひしひしと感じられます。

今回の「アウトレイジ最終章」、主要な登場人物はみながみな、自分が騒動の主導権を握ってると思ってるんですが、全然違う。

抗争という大きな渦に飲み込まれて、ただその中で流れに身を任せているだけなんです。ひたすら死に向かって突き進んでいるだけなんです。

そんな中最も派手に立ち回って次々と花菱会構成員を襲っていく大友(ビートたけし)は「どうせ死ぬなら」感溢れる捨て身の行動を取っています。

たぶん大友の人生は1作目の「アウトレイジ」で、大友組という自分の家族を失った時点でもう終わってたんじゃないかと思うんですよね。終盤ですんなり逮捕を受け入れていたことからも想像出来る。

根っからの親分肌である大友はその後「アウトレイジビヨンド」で、抗争相手でもあった元村瀬組若頭・木村(中野英雄)と盃を交わし、再び家族を得、死んでいった部下達の弔い合戦を終えます。その後は張(チャン)会長(金田時男)を頼り韓国は済州島で静かな裏社会生活を過ごしていました。

そこでは最早彼のヤクザとしての人生は終わっており、家族を持つこともない惰性の日々を過ごしていたんではないかと思います。

今作で右腕として行動を共にしていた市川(大森南朋)とも盃は交わしていません。

そんな中勃発した花菱会と張グループの抗争、大友は危険の迫った張会長への義理のため制止を振り切り自ら渦の中に身を投じます。しかしこれは建前で、おそらくは宇多丸さんがタマフルTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」)で言っていたように自分の死に場所を求めての行動でしょう。

私刑とも言える徹底的な報復ですべてを破壊していくその姿は、しかしカタルシスを全く感じない。「今の俺にはこれしか出来ない」という諦めこそがその行動原理です。

清算を終えた大友は、観客の予想通り自ら命を絶つ。その死に必要以上の悲しみは感じない。彼の人生はとっくに終わっていたのだから。

これでこのお話はおしまい。暴力は暴力を産み、死は死を呼び寄せ、権力は相も変わらずのさばり通すという寂しいメッセージを残しつつ映画はエンドロールに。

物語終盤、抗争の発端中の発端である花菱会幹部・花田(ピエール瀧)への制裁で「花火」というワードがありましたが(花田は見事に花火を打ち上げたことでしょう、口の中で)、今作は「派手に見える線香花火」といった趣です。どれだけ大きく爆ぜているように見えても、結局は儚い線香花火なんですよ。

全体の暗めな雰囲気もあってか、シリーズ毎度のお楽しみであった「意趣意向を凝らした殺人描写」も今回は控えめ。

前出の花田のギャグボール爆弾と、「北陸代理戦争(1977)」パロディである花菱会会長・野村(大杉漣)のミッドナイト山中キャンプくらいですかね。個人的には今回の作風の中だとこれらも不要に感じました。

むしろシンプルなパーティー会場での自動小銃乱射や、作品中最も白眉といえるワンボックスカー銃撃戦の方こそ特筆すべきかと。

前者は大友の捨て身感をサービスショットで派手に描き、後者は暴力映画としての緊張感を最大級に演出。「ソナチネ」のエレベーター内銃撃戦に匹敵する緊張感でした。尹(ユン)会長の三段活用はお見事。

役者陣の演技も少し意趣が前2作と変わっていて、「アウトレイジビヨンド」で最も恐ろしい顔面の持ち主だった花菱会若頭補佐・中田(塩見三省)が、本人の病気の影響で痩せ細り、声にも覇気が全く感じられない。ビートたけしも喋りの勢いが減退し、体力の衰えを感じずにはいられない。

普通であればマイナス要素になってしまうこれらの点も、抗争に巻き込まれた個人の為す術の無さを強調させることに成功している。

監督すげーな!

3部作を締めくくるに相応しい素晴らしい作品。ひとりの男の鎮魂歌を是非見届けて欲しいです。

ヘリオン