kotetzmusumetofafataroのブログ

こつてつむすめとファーファ太郎による映画評論対決

『エル ELLE』(2016)byこうてつ

 
エル ELLE』 (2016)

あらすじ
新鋭ゲーム会社の社長を務めるミシェルは、一人暮らしの瀟洒な自宅で覆面の男に襲われる。その後も、送り主不明の嫌がらせのメールが届き、誰かが留守中に侵入した形跡が残される。自分の生活リズムを把握しているかのような犯行に、周囲を怪しむミシェル。父親にまつわる過去の衝撃的な事件から、警察に関わりたくない彼女は、自ら犯人を探し始める。だが、次第に明かされていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった──。(公式サイトhttp://gaga.ne.jp/elle/より)
 
 
 考察(ネタバレ有り)
 そもそも『エル ELLE』は、「レイプ犯を探し出して復讐する」話ではない。
これは「異常な原体験が呼び起こす異常な体験の連鎖、その克服と脱却」の物語である。
 
レイプをされ、嫌がらせをされても毅然として冷静沈着であり、心乱された所作の一切を見せない主人公ミシェルのことを、単に「強く」「格好いい」女性として捉えるのは非常に安直であると思う。
異常な原体験を持つ人間は、異常に対する異常な抗体が出来上がってしまっている、というだけなのではないか。
異常値が原体験のそれを超えない限り、何事も、(それが唐突な恐ろしいレイプであったとしても、)大きく動揺する出来事ではないのかもしれない。
劇中ではミシェルの抱えているいくつかの諸問題(レイプとそれにまつわるストーキング行為、母の奔放な性生活、ダメ息子と反りの合わない嫁、親友の夫との不倫、元旦那に出来た若い恋人、父の事件…)が物語にレイヤーを重ね一見複雑にしているが、しかし、彼女の心情に本当に根差している問題とは、父の事件とそれにまつわる自らの記録と記憶“だけ”のように感じた。…この問題に触れる時だけ、至極冷静なミシェルが露骨に嫌悪感を表しながら声を荒げたり、はたまた酔いに任せて饒舌に吐き出したり、クソ喰らえと呪文のように繰り返して動揺する心を抑えつけている様が見て取れる。
 
異常な原体験…父の起こした大量虐殺事件と少女だった自らの写ったセンセーショナルな記事、マスコミにより国民に植えつけられた憎悪と好奇に晒された生活は、どれだけ彼女の素直な感受性と真っ当な道徳性の成長を阻害してきたことだろうか。
飲食店では、事件を知り嫌忌する見知らぬ女性から食事の残飯をぶちまけられるが、ミシェルはさほど動じない。通常の倫理観を押し殺して生きてきた彼女は、必然的に周囲からの性的・暴力的な衝動も受け入れることが自然となっている。
社内で、自社製品の性的シーンにミシェルの顔を貼り付けたコラージュ動画が出回った事件などはまさに、性的かつ暴力的な嫌がらせである。(そもそも、社内の若い男性社員達の中で二分する「嫌悪」と「羨望」の二極化したミシェルへの評価もまた象徴的である。)また、元夫との離婚事由も元夫による暴行のせいであったと明かされた。そして、性的かつ暴力的な事件の最たるものがレイプであった。
しかし彼女はもうそういった目線もとっくに慣れっこなのだ。だから動揺しない。初っ端のレイプシーンも、BGMで静かなクラシックが鳴り続けており、カメラも定点的に動かないことで、(カメラは飼い主が襲われているところをじっと見つめる飼い猫の目線だったと思う)ショッキング性や暴力性をかなり緩和した(抑圧した)映し方をしている。それは、彼女の心的に既に完成されている、ショッキングな出来事に対する抑制的メカニズムともリンクする。
そのように、彼女は異常性に対する異常なまでの受容力がある上で、また更に、自身の性的衝動こそ至妙に誘惑に乗じて異性を誘うことが出来るタフさをも兼ね備えており、それがこのヒロインをただの性的弱者には絶対にたらしめず、一癖も二癖もある彼女の艶めかしい魅力として貢献している。
実際、「家の周りに不審者がいた」と通報し、家の中の見回りに来てくれた隣人パトリックをそっと視線で誘う彼女は非常に巧妙な誘惑者であることがわかる。ミシェルが主催し、一堂に会するクリスマスパーティのテーブルの下では、敬虔なクリスチャンである妻の隣に座るパトリックの股間に素足を伸ばし弄っている。…恐らく親友アンナの夫を(はっきりと口に出さずとも、視線や態度で)不倫へと誘ったのもミシェルからだったのではないかと推測できる。
一方で、これらの事実…親友の夫と性的な関係を持っていること、それに隣人夫婦の夫・パトリックに性的興奮を覚え、誘惑している事から、やはり本人自身の倫理観が一般常識のそれとは乖離している、つまり異常であることがわかる。
 
そもそも、隣人パトリックへの誘惑もこの物語が始まる前からしているように思える。パトリックが植木を抱えている初登場の際もしばらく目で追っていたし、ミシェルは明らかに以前から好意を寄せている。
パトリックによるレイプ犯行は、最初から、そういったミシェルによる巧妙な誘惑への、パトリックの異常性癖を通したアンサーであったのだと思う。
そして、とうとうレイプ犯の覆面を剥ぎ取った際に、ミシェルは自分の誘惑が成功していたこと、同時に、思いがけずこの犯行自体、自分が誘致していたということをも知ってしまったのだ。
(レイプされる女は誘ってる、と言っているのでは全くない。イザベル・ユペールがインタビューで言うように、ミシェル=彼女elleのケースの話である)
 
ミシェルはその後、犯人が分からなかった今までとは完全に形勢を逆転し、優位を取って、その後のレイププレイを続行する。被害者でありながら、否、被害者であるからこそ、状況をコントロールしているのは彼女なのだ。
しかしこの状況こそ彼女にとっても異常の極みであった。
 
母の死、そして彼女の心の闇の元凶であり、異常性の原体験そのものであった父の死を機に事態は転じていく。彼女は異常性からの真の脱却を望み始めるのだ。
「もう嘘をつきたくない」と親友の夫との不倫を親友にカミングアウトし、パトリックにも「警察に申し出る」ことを告げる。
 
逆上し再び覆面を着けて襲ってきたパトリックを、居合わせた息子が撲殺した際、震える息子を抱きしめながら、ミシェルは「もう終わったのよ」と言い聞かせる。
終わったのは、レイプ犯とそれを受け入れてしまう自らの異常な関係性だけではない。
人生に影を落とし続けた父の事件のトラウマ、そしてそれに起因し、倫理的に周囲を裏切る自らの異常性、そういった悪癖諸共、終わらせたのだ。
 
幸い、不倫をカミングアウトしても尚、彼女と共にいて笑ってくれるのは、親友アンナであった。何故そうなったのか明らかにはされないが、あれだけ険悪であった息子夫婦も、急に仲睦まじく(激しく取り合っていた子どもの存在を車内に忘れるほどに!)彼女の元を訪ねてくる。
ミシェル自身、冒頭から続く抑圧的な表情が、かなり柔和になっている。環境や周囲が自分自身の鏡だとすると、自らに穏健な変化があれば、周囲も同じく変わるということかもしれない。「風向きが変わった」、と捉えても良いのだろう。
全てを克服したミシェルには、これから、希望ある明るい生活が待っているようだ。
 
 
 
 

こうてつ